第四回ティファニー財団賞授賞式は、東日本大震災の影響により、予定より3ヶ月延期して2011年9月8日に実施されました。東京の南青山で開催された授賞式では、最初に本授賞式のために来日したティファニー財団評議長フェルナンダ・ケロッグ氏の挨拶、続いて日本国際交流センター理事長山本正からの挨拶ののち、在日米国大使館のリチャード・メイ文化・交流担当官より祝辞をいただきました。

今回のティファニー財団賞では、専門家および各地域の関係諸団体の方々からの推薦とともに、初めての試みとして一般からの公募を受け付け、これまでで最も多い93件の応募をいただきました。また今回から、伝統文化大賞と伝統文化振興賞を区別せずに応募を受け付けました。

事務局選考の後、当センターが委嘱する選考委員による審査を経て、第4回ティファニー財団賞の受賞団体として、伝統文化大賞はあまわり浪漫の会、伝統文化振興賞は鯛車復活プロジェクトに決定しました。なお、本年より、選考委員に建築家で東京大学教授の隈研吾氏にご参加をいただき4名の選考委員の体制となりました。

授賞式では、ティファニー財団の活動とともに、これまで3回のティファニー財団賞の取り組み、今回の受賞団体の活動をビデオにより紹介をさせていただきました。その後、受賞2団体にティファニー社製トロフィー、賞金200万円の目録が贈呈され、それぞれの団体から受賞の喜びと感謝の言葉が述べられました。

今回の授賞式には4名の選考委員が全員出席し、各団体についての活動の評価とともに、地域社会に残る素晴らしい伝統文化を復興することの意義、ティファニー財団賞によってそうした活動が世界とつながる可能性、また震災復興に向けて、地域の文化の果たす役割の重要性等についてのコメントが述べられました。

ティファニー財団賞伝統文化大賞

あまわり浪漫の会(沖縄県うるま市)

写真

あまわり浪漫の会は、沖縄県うるま市内の中高校生による「現代版組踊・肝高の阿麻和利」を制作・上演している団体である。沖縄に古くから伝わる伝統芸能「組踊」をベースに、現代音楽とダンスを取り入れて、勝連城10代目城主「阿麻和利」の半生を描く「現代版組踊・肝高の阿麻和利」は当初、勝連町(現うるま市)教育委員会を中心に行われた。2000年にはこれまでの父母会が発展し 「あまわり浪漫の会」として舞台制作の企画・運営を担うことになった。当初、勝連城跡で上演されていた舞台は、地元の公共ホール「きむたかホール」にその拠点を移し、これまで子ども達の感動体験と居場所づくり、ふるさと再発見・子どもと大人が参画する地域おこしとして多大の成果を上げてきた。

写真

2010年2月までに上演回数は168公演を数え、沖縄県内はもとより、関東、関西での公演を行い、2008年には初の海外公演となるハワイ公演も実現させた。参加する中高校生は現在180名を数える。

ティファニー財団賞伝統文化振興賞

鯛車復活プロジェクト(新潟県新潟市)

写真

江戸末期から伝わる新潟市巻地区の「鯛車」は竹と和紙で原型を作り、ロウでウロコを描き赤色をつけたものである。かつてはお盆の夕暮れ時に何十台もの鯛車にあかりを灯して、浴衣姿の子どもたちが下駄をはき砂利道をゴロゴロ引いて歩いていた。全盛期の昭和初期には、子どものいる家庭では子どもの数だけ何台も鯛車を所有し、暗闇に鯛車の赤い光が浮かぶ情景は晩夏の風物詩となっていた。

写真

昭和40年代に消えてしまったこの鯛車を復興させ、まちに活気を取り戻そうと地域の青年が考え、その賛同者が集い2004年から「鯛車復活プロジェクト」の活動が開始された。プロジェクトでは、制作技術の伝承を図る活動として小学校や公民館などで鯛車の制作教室を開き、お盆の時期に巻の鯛車を一堂に集めた「鯛車展」を開催するなどして、地域の宝物としての周知を図っている。地元の商店街も「まき鯛車商店街」と名称を統一して、鯛車を商店街のシンボル・キャラクターとして活用するほか、鯛車をイメージした地元商店の商品開発が進むなど、地域社会の活性化にも貢献している。

講評

南條史生、森美術館館長 [選考委員長]

沖縄の中でも、特殊な歴史を背負った地域であったにもかかわらず、若者を積極的に巻き込みながら地元の伝承を演劇として復活させ、地域を勇気づけつつ振興することに成功したユニークな活動。提出された資料からは、若者達が生き生きと活動に参加している様子が見て取れる。多くの若者が楽しみながら参加している点で、この活動が未来に継承されていくであろうことが推測される点が高く評価された。

これは伝統工芸の維持復活だが、対象の鯛車はきわめてユーモアに富み、デザイン的にも興味深く、それが大量に設置され、利用されている場面には独自の人間的でユーモラスな空間が生まれている。小さな素材から伝統の再興をはかることはどこの誰にでもすぐに始められることであり、その意味で、全国の多くの地域文化再興の一つの範となりうるとして、評価した。この成果からさらに新たな展開を期待したい。

隈研吾、建築家、東京大学教授

演劇が、劇場という枠を超えた力を持ちえることが、今、様々な分野で指摘されている。「あまわり浪漫の会」の活動は、そのような長い射程をもつ演劇活動のひとつとして、注目に値する。ひとつは、地域の新しいアイデンティティーを創造する力。演劇が地域に誇りと自信を取り戻すほどの力を発揮しえるのである。しかも、僕がもっとも面白いと思ったのは、それが中学生を中心とする若者達の手で演じられているという事実。学校という制度自体が危機に瀕しているという今、演劇は学校にかわる教育装置たりえるのかもしれない。

具体的な物(鯛車)の復活を通じて、その物のまわりにひろがっていた生産システム、都市文化までを復活させようとする野心的な試みである。かつて存在していた都市文化をなつかしみ、復活させようという試みは多いが、この「鯛車」の活動はまず、その都市文化の主役であった「鯛車」自体を自分達の手で作ってしまおうとしたところがユニークである。自分達の手で作るという行為は、他人の作ったものを「買う」のがあたりまえであった20世紀システムへの痛烈な批判でもあり、「作る」こと自体が町の再生化にも、直接的につながるのである。

田中優子、法政大学教授

国(日本、琉球)を超えた地域の自立、地域の伝承を作品化したことと、それを高いレベルで維持し続けていることに敬意を表したい。高校生を中心に次の世代に継承し、主人公を代々受け継いできたことにも、学校教育とは異なる意味と価値を発見できる。共同体には従来、学校外の若者たちのつながりと訓練の場があり、それは祭を通して維持されてきたが、本会はその伝統の新しい形である。この会の活動によって、世界に向け、従来の日本の伝統文化とは異なる文化があることを伝えることができる。それが米軍基地の集中する沖縄の一地域に出現したという事実が、米国資本であるティファニー財団を通して米国および世界に伝えられることは、とりわけ意味がある、と考えている。

「日本の伝統文化」という概念にこだわりすぎていると、このようなものの存在を見過ごしてしまう。「鯛車」はそれを気づかせてくれた。江戸時代以来の生活の美には、笑いがあり、おもしろさがあり、いとおしさがあった。そして盆行事には現在でも、提灯の光を通して死者の魂を迎えるという、死者との対話がある。東日本大震災を経験した2011年度の賞は、地域の復興と、死者や被災者への祈りを象徴する文化に獲得してほしいと考えていたが、鯛車復活プロジェクトは、まさにその希望にふさわしい。暗闇の中に映える、ユーモラスでかわいらしく、思わずほほえみを誘う鯛車に注目し、余計なものや事柄を付けずに、ただそれだけを拡げてきた見識に敬意を表したい。地域の文化ではあるが、日本文化の「かわいらしさ」として、世界に拡がる可能性をもっている。

日比野克彦、アーティスト、東京藝術大学教授

芝居の力というものに改めて感心いたしました。総合芸術と呼ばれる舞台芸術には多くの人の心を掴む力があります。それは芝居を観た観客にたいしてというのが一般的ですが、それ以上に同じ舞台に立った演者たち、そしてそれを支えている舞台裏のスタッフたちの中で大きな仲間意識、絆が生まれてくるのが、もうひとつの舞台芸術の大きな魅力です。人間は一生という時間の中で自分が主人公の芝居を演じます。その舞台はなかなか自分の思い通りにはいきません。「自分の人生の中でもう一つの人生をみんなで作ってみる」というのが芝居の魅力というか魔力の根源です。このフレームのなかで「何を演じるのか?」というところがこの「あまわり浪漫の会」の大きな特徴であり、同様の地域活動とは一線を画すところであると思います。地域にとっては決して英雄ではなかった地元の歴史上の人物を主人公にすることによって地元住民の歴史上の人物への価値観も変わり、それによって演じている地元の学生の意識も変わってきているという事実は、まさに芝居の力を存分に活用している地域活動です。長くこの活動が継承されていくことによって、歴史観でさえ変わっていく大きな力になっていくのだと思います。

芸術系の大学がこの30年の間に日本全国に増えてきました。それ以前は東京・京都・愛知・金沢にしか公立の芸術大学はなく、私立も東京、京都などに集中していました。それが地方分権的な社会の流れと、地元の文化を再生する、地域の文化を創生させるという目的も含めて、日本各地に美術系の大学が設立されてきました。世界へ向けての人材育成だけでなく、地域文化を見直していくという姿勢が美術大学の中でも生まれてきました。この「鯛車復活プロジェクト」はそんな芸術大学の動きの成果といえるのかもしれません。新潟の高校生が新潟の芸術大学に入学し、卒業制作で自分が子供のころに遊んでいてが今はなくなってしまった郷土玩具を制作する。そしてあらためてそのものの大切さを感じ、地元で郷土玩具の復活の活動を始める。個人の卒業制作が地域の宝をよみがえらせることができたことは、作るべくして鯛車を作ったような気がします。物を作るにはきっかけがあります。作業は個人作業だとしても、決して一人の力で作りだすのではありません、様々な要因がからみあって自分の手元にやってきて手が動きだすのです。大学という教育機関と地域の文化とが素直につながっています。行政とか大学が企画したものでなく、一個人の必然的な自然の流れから生まれてきたことがこのプロジェクトの最大の原動力であると思います。