『日米中三者の対話は可能か』


(財)日本国際交流センター理事長 山本 正

日米中協力−新たな三辺関係の模索(日本国際交流センター刊 1998年6月)より抜粋


アジア太平洋地域の台頭が国際システムの将来に多大な影響を与えることが予想されるが、この地域の持続的な安全と繁栄は、中国、日本、米国の三つの主要経済国家の間の協力の強化にかかるところが大きいという認識が高まっている。冷戦の終結とこれに伴いロシアが三カ国の共通の脅威でなくなったこと、中国の急速な経済発展によりアジア太平洋地域のみならず国際社会全体における中国の政治的影響力が増大したことが、こうした認識を作り上げてきた。

「アジア太平洋の将来と日米中協力」研究・対話プロジェクトは、日米中関係の維持・発展にとって共同研究と対話が不可欠と考える三カ国の国際関係研究者数名によって計画された。これら関係者の1年以上にわたる事前協議に基づき、日本国際交流センターは、中国社会科学院米国研究所および中国改革開放論壇、米国のカーネギー国際平和財団の協力を得て、1996年12月に、日米中各国の第一線の政策研究者が出席するワークショップを北京で開催し、本プロジェクトを発足させた。

本書に収録された三編の論文は、三名のプロジェクト・リーダーが北京でのワークショップの問題提起論文として英語で執筆したものを翻訳したものである。王緝思氏は中国社会科学院米国研究所の所長で、中国の著名な国際関係専門家であり、朝日新聞編集委員の船橋洋一氏は、北京特派員とアメリカ総局長を務めた日本でも有数のジャーナリストであり、モートン・I・アブラモウィッツ氏は国務次官補等を務めた外交官で、97年にカーネ

ギー国際平和財団理事長を退任し、現在外交問題評議会特別研究員である。 これらの問題提起論文は、北京ワークショップでの意見交換をふまえて改訂され、英文ではChina- Japan- U.S.: Managing the Trilateral Relationship(日本国際交流センター、1998年)としてすでに刊行されている。

日米中関係をめぐる将来の課題

本書の三名の執筆者は、本プロジェクトの発足に携った関係者と同様、日米中三者間の対話の必要性を認識しながらも、日米中関係というものの特別な意味は何か、なぜそれが重要なのかをより明確に理解する必要があると考えた。この点について、モートン・アブラモウィッツ氏は、「一部の人々はこの『三者関係』を新たな至上課題と考えているが、誰もこれを明確には定義づけしていない」とし、王緝思氏も「日米中関係を三者関係の観点から研究することは理にかなっており、正当化しうる。それというのも、この三カ国の間では、どの二者関係も第三者の行動に影響を与え、かつ第三者の行動から影響を受けるからである」と指摘し、さらに、船橋洋一氏も「二国間関係を他の二国間関係と切り離して処理しようとしてもうまくいかないのは確かである。三つの二国間関係は、それぞれ、今後ますます三国間関係の渦に巻き込まれていくだろう」と述べている。

このプロジェクトの発足に当たり、われわれはこの新しい日米中関係の性格をより正しく理解し、三者の対話が有意義かつ実施可能であるかどうかを率直に検討する必要があるということを確認した。三名の論文執筆者は、北京ワークショップの討議の基礎としてこれらの疑問について考察することを求められた。

北京における三者対話の開始は、執筆者たちも指摘しているいくつかの基本的認識を前提とするものであった。 第一の前提は、日米中三国間の協力はこの三国だけでなくアジア太平洋地域全体の利益に

資するに違いないということである。米国と日本を最大の貿易パートナーとする中国は、三国間の経済相互依存関係を強化・拡大するための公式の経済提携から利益を得るだろうということである。同様に、米国と日本は、中国の多国間国際システムへのより積極的参加を得ることにより、地域の安全と繁栄を促進することができる。逆に、この三つの経済大国の間で摩擦が起これば、それは地域の安全と繁栄に重大な悪影響を及ぼしかねない。他のアジア太平洋の域内諸国は、日米中の三国間の協力が、これら三カ国の利益を増進するための共謀ではなく、責任分担のための努力とみなすべきであろう。

第二の前提は、調和のとれた日米中関係を構築することは、この三カ国にとって非常に難しい課題であるという認識である。言うまでもなく、前途を楽観できるような日米中協力の歴史的前例は存在しない。日米中三カ国の間で均衡のとれた関係を構築することは困難を極めることが予想される。それというのも三カ国のうちのどの国も、他の二カ国が手を組んで自分と敵対するという悪夢のシナリオを描く傾向があるからである。日本には、米国が中国との強いきずなを復活させ、日本の頭越しに新たな米中関係を築くのではないかという懸念が根強く残っている。米国の一部には、アジアの二大強国が東アジア・ブロックの要となる「日中共同支配体制」を形成するかもしれないという懸念が存在する。同様に、中国人は、中国「封じ込め」を意図した日米協力の可能性を懸念している。実際に、この三つの二国間関係はいずれも北京ワークショップの数カ月前から悪化しており、これらの関係悪化は、各国が他の二カ国の意図に対して抱く疑念や懸念をいっそう強めさせる傾向があった。台湾海峡でのミサイル発射から1カ月後の1996年4月に調印された「日米安全保障協力に関する共同宣言」は、かかる緊張を増大させた国際関係の展開の一例である。

第三は、日米中の三国間関係は堅固な二国間関係を基礎とすべきだが、同時に三国間関係は二国間関係の強化にも資するべきだということである。この観点から考えて、建設的な日中関係の構築は特に重要な課題であることが共通の認識であった。それは、日中関係の調和のとれた発展がいくつかの困難な要因によって阻害されているからである。特に、歴史とナショナリズムが日中関係改善への主要な制約要因になっており、これらは今後いっそう悪化する可能性がある。多くの日本人は日本が自らの歴史の問題を処理することが建設的な対中関係を築くための必須条件と考えているが、その一方で日本国内では、日本が超大国として台頭することを阻むために中国が「歴史カード」を切って牽制しているのではないかという反感も強まっている。さらに、日中間には、尖閣/釣魚諸島領有問題などいくつかの重要な未解決の問題も存在する。日中関係をさらに複雑化しているのは、中国が世界的経済大国になる可能性を秘めた核保有国であるのに対し、現在中国の経済発展に不可欠の経済援助を提供している日本は非軍事国家としての地位を堅持することを約束しているという事実である。

第四は、相互認識が時とともにずれを生じ、大きく揺れ動き、それが結果的に日米中関係の維持・発展を複雑なものにするといういことである。おそらくそれが最も顕著なのは米国の対中認識である。ここ数年、米国内には中国を「脅威」と考える傾向が一部に見られるが、冷戦の緊張が高まっていた1970年代と80年代には米国の主要な関心事は中国でなくソ連だった。中国で改革が始まったポスト四人組時代には、米中関係により良好なムードが生じ、1979年に米中間の国交が樹立された。1989年の天安門事件では状況は激変し、米国の対中政策は政治色を強めた。このような二国間関係における相互認識の変化は今後、日米中関係の維持・向上をいっそう複雑なものにすることが予測される。

第五は、この相互認識とも深く関連するが、各国の外交政策の形成において、国内の社会政治的ダイナミクスが入り込んでくる傾向が強まっきていることで、これによって日米中関係の維持・改善がさらに複雑化しているという認識である。この傾向はグローバリゼーションの影響の強まりと各国間の相互依存関係の増大を反映するもので、換言すれば、各国の外交政策の策定と実施に影響を与えるアクターが増えたのである。各国の指導者は、外交政策の展開において国内の広範な支持を得ることがますます必要となっていることを認識しており、少数の「ベスト・アンド・ブライテスト」が立案して推進してきた従来の外交のあり方はもはや機能しなくなっている。

第六の前提は、多くの難題と制約にもかかわらず、日米中各国はこの三国間関係の強化に重要な共通の利益を持つことを想定出来ることである。日本と米国には、中国についての感情的こだわりや何がしかの疑問とは関わりなく、強大国に発展しうる中国とうまく付き合っていくことが必要であるとの一般的理解がある。また、中国も、多国間関係についての対応について自国の指導者の多くが不得手であることを自認しており、これについて学び取っていくことが必要であることを認識している。

日米中関係の維持・向上のための対話の役割

本プロジェクトは、この複雑な三国間関係を維持・向上する上で民間レベルの三者対話の促進が不可欠であるという強い確信のもとに開始された。共同研究、会議やシンポジウムによる対話、情報交換などいわゆる「知的交流」とも呼ばれる活動は、長年にわたり、国家間や地域間の関係の強化に重要な役割を果たしてきた。ビルダーバーク会議は、第二次世界大戦後の大西洋関係の再構築に極めて重要な役割を果たした。1967年に発足した下田会議は、各界のオピニオン・リーダーたちの参加による日米間の民間政策対話フォーラムとして、両国間の率直かつ密度の濃い対話の先駆的役割を果たしてきた。日本、北米、欧州の先進工業民主主義諸国の民間指導者が一堂に会して討議するために1973年に創設された日米欧委員会は、国際経済および政治・安全保障分野の諸問題に取り組む上での三地域間のより緊密な協力を促進してきた。ここ数年来、アジア太平洋地域では「セカンド・トラック」の活動、すなわち民間部門の知的交流と対話が増加しており、アジア太平洋安全保障協力協議会(CSCAP)のような民間政策研究機関の協力による取り組みは、アジア太平洋地域共同体の構築に向けて不可欠の要素と考えられるようになった。日米中三者関係の維持、向上のためには、このような民間レベルの対話活動が果たしてきたいくつかの有用な機能を参考にすべきと考えられた。

日米中三者対話が果たしうる最も重要な貢献は、おそらく、船橋氏の表現を借りれば、世界の新しい現実に対して「文化的傲慢さ」を共有するこの三カ国の政策決定者および政策研究者の考え方に新しい方向性を与えることと言えよう。アブラモウィッツ氏は「現在、この三カ国は互いの勢力関係を忘れているわけではないが、それを三者間という枠組みの中では認識していない」と指摘している。王氏は、日米中関係をかつての米中ソ三極関係と比較して、「これら二つの三者関係には共通した特徴が一つある。それは、第三国をめぐって二国間での討議は行われるものの、三国間での討議はめったに行われないということである」と論じている。船橋氏は、「三カ国とも三辺的に考える(think trilaterally)ことには不慣れである」と指摘している。同氏は、日本委員として関与してきた日米欧委員会の活動について、「トライラテラル・プロセス」の最も有益なインパクトは、委員会のメンバーが政策問題を多国間関係の観点から考察し、それに従ってそれぞれの国の政策と行動の調整を促してきたことだと述べている。こうした調整の性格について、メンバーの一人は、米国が「一人勝手に行動すること(ユニラテラル・アクション)」と日本が「自分だけは何もしないこと(ユニラテラル・インアクション)」をそれぞれ是正することだと端的に表現している。

三者間の対話は同一の情報の共有を促進し、互いについての知識を深めさせることにより、誤解や固定観念を減らすことができる。このような情報と知識の共有は、中国、日本、米国の三者間の関係を強化するために特に重要である。なぜなら、この三か国はそれぞれ非常に異なる歴史的・文化的背景を持っており、しかも前述のように、三カ国の間には互いの意図、特に二カ国が手を組んで第三国と対峙する可能性についての懸念と疑念が満ちているからである。この三カ国すべてにおける、国内の多様性と多元主義の増大を反映する社会的、政治的、経済的ダイナミクスの変化を理解することに、対話の努力の中で特に重点が置かれるべきである。

対話の一つの役割は、パートナー間に緊密な協力関係を築くことである。日米欧委員会委員長を務めたことのあるズビグニェフ・ブレジンスキーは、同委員会の活動と対話を通して「一緒に仕事をする習慣をつけること」の重要性を常に指摘していた。もっと一般的な用語を使うなら、これは信頼醸成プロセスと呼んでもよいだろう。一緒に仕事をする習慣は、対話参加者が自分たちの直面している諸問題について共通の認識を持ち、共同の対応策を一緒に考えることを可能にする。この「シェアリング・プロセス」という、多くのことを共有しようという努力、は究極的には関係国間の共同体意識の育成に決定的に重要な共通の価値観の確立を可能ならしめるものと考えられる。 民間レベルの対話は、共通の課題の解決の方策のための協力に道を開き、将来に向けてのアジェンダ(討議課題)を設定する役割を果たすことができる。中国、日本、米国の間で三国間の公的な協議体を創設する可能性に関する討議から明らかのように、多国間関係において新しい革新的な機構を発足させることには困難が伴うのが常である。民間レベルのセカンド・トラック外交が公的な協議機構の創設に道をつけたケースはいくつもある。アジア太平洋安全保障協議会(CSCAP)は、ASEAN戦略国際問題研究所連合(ASEAN−ISIS)の傘下に創設された非政府フォーラムであるが、このCSCAPが関係国政府に刺激を与え、アジア太平洋地域安全保障のための新たな枠組みを話し合うための政府協議体であるASEAN地域フォーラム(ARF)が創設されるに至ったと考えられている。また、直接の因果関係があったかどうかは不明だが、日米欧委員会が、1975年にランブイエで最初の会合をもった経済サミット(主要先進国首脳会議)の創設の基礎を作ったことは確かである。同様に、非政府対話フォーラムは、公的対話や協議のための課題を設定する役割を果たすことができる。CSCAPは公的ARFのためにこの役割を果たしている。また、国際経済研究所(IIE)のフレッド・バーグステン所長の率いる賢人会議(EPG)は、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の会合のための課題設定者としての機能を果たしたのである。

民間対話フォーラムは、政策指向の討議に各国社会の多様な分野のリーダーを参加させることもできる。前述のように、あらゆる社会でグローバリゼーションと多元化が進んでいる今日の状況のもとで、さまざまな活動分野の民間リーダーの参加が対外関係についての取り組みにとって不可欠になりつつある。この事実の必然的結果として、こうした諸外国との対話フォーラムは、対外政策に関する国内論争を巻き起こす機能も持ちうる。また、これらの対話フォーラムは、幅広く国民の多くに対外関係についての理解を深めさせるパブリック・エデュケーションの機能も担うことを認識すべきである。

われわれは、一つのプロジェクトがなしうることについて過大な野心を持たないように注意しなくてはならないが、日米中三者間の対話の役割と機能についてより明確な構想を立てる必要がある。北京ワークショップの討議とここに収録した三編の論文は、このような民間レベルの対話が果たしうる役割が明らかに存在することを強く示唆している。北京ワークショップでは日米中対話が可能であるという点でも意見が一致した。王氏が書いているように、「率直かつ密度の濃い三者討議を通してのみしか、中国、日本、米国の建設的な三者関係の構築はありえない」ということが強く認識されたのである。

日米中対話の展望:「ゆっくりと急げ」

本書の三つの章は、中国、米国、日本の三者関係の実現可能性を論じているだけでなく、対話活動のためのアジェンダと手続きも論じている。北京ワークショップでも、これらの問題について非常に活発かつ建設的な討議が行われた。今後の日米中対話を組織するにあたっては、他の三者間の討議においてこれまで注意が払われてきた下記の諸点に留意すべきである。

第一に、この対話の非政府的性格を強調することが重要である。セカンド・トラック外交の一つの比較優位性は、政府間協議に比べて、より長期的な視野と国益のより広い定義のもとで対話を行うことができるということである。民間対話の参加者は、政府関係者が直面するようなさまざまな制約に縛られることなく、率直に自分の意見を述べることができる。このことは参加者が知的能力を存分に発揮し、率直な知的交流を行うことを可能にする。政府はセカンド・トラック外交を「管理」することへの誘惑に駆られるかもしれないが、こうしたアプローチは本質的に矛盾したもので、概して非生産的なことであろう。

第二に、対話のアジェンダは十分な準備を経て注意深く設定されるべきである。アジェンダが三カ国すべての深い関心事であるよう留意することが重要である。その際、もう一つ留意すべきは、対話が民間ベースであることの比較優位性を活用することである。アブラモウィッツ氏は、「この三者の対話は、三カ国に長年にわたってわだかまっている歴史的・心理的な不平・不満の原因について討議し、時としてそのような原因を軽減するのに役立てることができるかもしれない」と述べている。同様の意味で、王氏は、日米安全保障関係に対する中国の懸念のような「激しい論争を引き起こす恐れがあり、国際的にも国内的にも微妙な政治的感情を伴いがち」な問題に関する日米中三者間の討議は、「まず最初に非公式レベルで行ったほうがより効果的で、かつ継続しやすいかもしれない」と述べている。

第三に、日米中対話を強化するための重要な要素は、この三カ国が共通して関心を有する分野を拡充することである。本書の三論文と北京ワークショップでの対話で確認されたことは、三カ国の共通の利益は非常に広範囲にわたるということである。三カ国は明らかに、アジア太平洋地域の今後の発展と安定に共通の利害関係を持っている。日米中協力の可能なもう一つの分野は朝鮮半島情勢であり、三カ国ともその平和的進展に共通の利益を有している。

第四に、前にも触れたが、日米中三カ国は、地域の三大国間の対話の性格について他のアジア諸国が不安を募らせるかもしれないということに配慮すべきである。日米中関係の維持・向上の努力はアジア太平洋地域のすべての国にとって死活的に重要な関心事であるだけに、他の諸国に対して三者間対話について透明性を保つことと、時には他の諸国から参加者を迎えて、日米中関係および特にこの関係がこれら諸国に与える影響についての考えを聞くことが重要である。

最後に、このような民間レベルの対話は、長期的なインパクトを念頭に置いて実施する必要があることを銘記すべきである。アジア太平洋地域の三大国が三者間対話を開始することが急務であることはこれまでの討議から明らかであるが、こうした対話の確立には相互信頼、友好関係、そして共同で取り組む習慣の育成が必要とされる。これは本来、時間がかかり、段階的に進展するプロセスである。このことを念頭に置いて、本プロジェクトの組織者たちは、三カ国の若い知的リーダーたちによる共同研究プロジェクトを対話ワークショップと平行して発足させた。日本の中堅研究者で構成される研究グループは1996年から活動を続け、一連の研究成果を国分良成編『日本・アメリカ・中国−協調へのシナリオ』(TBSブリタニカ、1997年)としてまとめている(英文版は Challenges of China-Japan-U.S. Cooperation, Tokyo: Japan Center for International Exchange, 1998)。この若手研究者グループは北京・上海・香港・台湾を訪れて対話も行った。同様に、中国の若い知識人の研究グループが組織され、1997年6月に対話のために日本を訪れた。米国でも、同じような研究グループが近々結成されることになっている。この三つの研究グループがいずれ一堂に会して、将来を見据えた集中的な対話を行うことが期待される。他方、本書の三執筆者を含む三カ国からの第一線の知的リーダーのグループは、1996年12月に北京でスタートした対話を、1997年には日本で、1998年には米国でと継続して行くことになっている。

実際のところ、本プロジェクトの組織者たちは矛盾する時間的観念を持っている。三者対話は早急に、遅延することなく推進される必要があるが、同時にそれは、段階的な、おそらくは長い時間のかかるプロセスを踏んで推進されなくてはならない。筆者は、1973年に日米欧委員会が創設されたとき、日本側参加者が最初の6〜7年は安全保障問題を討議することに消極的だったことを思い出す。当時、彼らはそうした討議が、憲法違反と考えられている集団安全保障体制の促進を意図したものと批判されることを懸念したのである。1967年に下田会議で日米民間対話がスタートしたときには、会議場に数百人のデモ隊が押し寄せた。日本社会党の幹部がこのような対話に正式に参加するようになるまでに数年かかった。

本プロジェクトを計画するにあたり、船橋洋一氏と筆者は、日米中三カ国が、日米欧委員会や下田会議のような政界、財界、学界、メディア、非政府組織、その他諸分野の民間指導者の参加する非政府対話フォーラムを組織するに至るまでのタイムフレームとして、10年という目標を立てた。しかし、これは、三者間対話の決定的な重要性を確信する人々が準備にこれだけの歳月をまるまる費やしてもよいということではない。われわれは速やかに前進しなくてはならない。この論文集がこうした努力のための基礎的枠組みと将来のアジェンダの設定の助けとなることを願って止まない。

終わりに、本プロジェクトの組織者たちは、何よりもまず、多大な資金援助と励ましをいただいた日本財団に対し心より感謝申し上げたい。また、フォード財団、アジア・パシフィック・アジェンダ・プロジェクトなどの他の資金援助者に対しても、深い感謝の意を表したい。


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