『建設的関係の構築に向けて』


中国社会科学院米国研究所所長 王 緝思

日米中協力−新たな三辺関係の模索(日本国際交流センター刊 1998年6月)より抜粋


冷戦終結以来、中国の政策研究関連部門におけるテーマとして、中国、日本、米国の間の三者(trilateral、中国語での「三辺」)もしくは三角(triangular)関係がますます強い関心を集めている。中国内の分析者たちは日米中関係の重要性、現在の日米中関係の構造、そして中国の対米・対日政策に影響を与えるかもしれない中国内の対米認識と対日認識の違いをより注意深く考察するようになっている。三カ国の学者や政策分析者が研究を進め、提言を行うべき重要な課題を設定する際には、三者関係の改善が三カ国それぞれの利益および世界全体の共通の利益に資するような課題を取り上げることが極めて重要である。

問題の明確化

日米中関係に対する中国人の関心の高まりの背後には三つの要因がある。

第一は、国際政治分析への中国式アプローチは依然として国家中心型であるということである。大国間の関係とその勢力バランスの変化に基づいて国際構造(中国語での「格局」)を理解するという中国人の考え方は、中国の対外政策の方向づけと再調整に合理的根拠を与える上での基礎となっている。

ここ数年、中国のメディアで最も頻繁に用いられている概念はおそらく「多極化」であろう。これは望ましい目標として、また不可避のトレンドとして用いられている。中国政府筋の考えでは、もし最強の極(米国)が国際情勢における重要性と支配力を弱めれば、世界はより安全に、より平和になり、より大きな正義を享受することができるようになる。他方、中国、ロシア、日本、欧州連合(EU)、その他の地域の国家やグループを含む多数の極が台頭し、国際情勢における重要性を高め、より強く自己主張するようになる。国際構造は実際にこの方向に進んでいるというのが、中国の政治分析者の一致した見方である。

1980年代半ば以降、中国内では一般的に、米国の力が低下し、中国と日本が地域・世界情勢においてより重要な役割を果たし始めていると考えられている。したがって、「多極化」へのトレンドを明確にするためには、この三極の勢力関係を評価することが必要となる。日本は経済問題についてより決然とした態度で米国と接し、国際問題についても米国の助言にさほど依存しなくなっているように思われる。仮に日米中三国がこれまでと比べて実際に「より対等」であるならば、三者関係を詳しく考察することは至極有意義である。

1990年代半ばの米国経済の回復と好調な実績に注目して、現在、中国の一部の専門家は、米国は日本および欧州との経済競争で優位に立っていると論じている。彼らによれば、米国は世界・地域情勢において数年前と変わりない影響力を持っており、予見可能な将来に向けて唯一の真のグローバル・パワーとしての地位を維持するだろう。したがって、多極化はまだ現実のものになっておらず、国際構造は一つの超大国と多数の強国が併存する「一超多強」の状況にある、というのが彼らの結論である。また、超大国がますます力を強め、多数の強国が力を弱めているのが今日の現実だと論じる分析者もいる。中国の政治分析者の間で現在の国際構造に関する見解に多少の食い違いはあるものの、日本と中国に対する米国の相対的な力の強さが、中国の対外政策の方向づけと再調整にあたっての合理的根拠とされている。

中国が三者関係への関心を強めている第二の理由は、ここ数年、中国が対外経済関係の多様化努力に大きな成果をあげてきたにも関わらず、引き続き日本と米国が中国の第1位、第2位の貿易相手国であるという事実である。日本と米国は、中国に対する最大の外国人投資者でもある(香港と台湾は「外国」とみなされていない)。日米間の貿易関係と経済競争は、特にアジア太平洋経済協力会議(APEC)の枠組みの中で、中国の経済成長に重要な含意を持つ。

第三に、東アジア地域情勢におけるロシアの役割が減少したため、数年前までは興味深いテーマだった日米中ロの「四角関係」を吟味することへの関心がいまや薄れてしまっている。東南アジア諸国連合(ASEAN)は地域的課題の設定により大きな役割を果たすようになっているが、北東アジアの安全保障におけるASEANの重要性は限られている。北朝鮮と韓国はいずれも両国間の緊張関係に忙殺されている。アジア太平洋の地域秩序を形成する上で、この「三大国」に匹敵するような国が出現することはまず考えられない。

日米中の三者関係吟味への中国での高い関心は、日本国内でも、また、日本ほど活発ではないものの米国内でも、同様の議論が盛んになってきたことによって弾みがついている。すでに、この2、3年の間に日米中諸国の学者の間で三国間関係に関する多数のシンポジウムが開催されている。

当然のことながら、米国人はこのテーマについて中国人や日本人ほど強い関心を示していない。米国にとって、日本は第2位の貿易相手国(1位はカナダ)だが、中国はやっと5位に入っているにすぎない。その上、米国の戦略思考においては、欧州がアジアとやはり同程度のウエートを占めている。他方、日本にとって米国は最大の貿易相手国であり、中国が第2位につけている。日本の国際的展望と安全保障問題において、米国と中国に匹敵するほど重要な国は他にない。また前述のように、中国においては、日本および米国との関係は常に対外政策における最重要課題である。三カ国それぞれの対外関係における優先順位の違いが、三者関係に対する関心の度合いの違いを導いている。

いくつかの根本的な意味で、日米中の三者関係は、1970年代と1980年代のいわゆる米中ソの三角関係とも、また米国、西欧、日本の三者からなる西側同盟とも異なっている。米中ソの三角関係においては、米国はソ連を世界の重大な戦略上・思想上の敵対者とみなし、ソ連も米国について同様の認識を持っていた。米ソと比べて、中国はより弱いプレーヤーであるにも関わらず、米ソのどちらかに接近することによって両超大国間のバランスを傾けさせることのできる立場にあった。この三国間の相互作用と策動は主に安全保障という関心事に動機づけられており、経済要因はさして重要ではなかった。日米欧三者間の西側同盟も、冷戦時代にはやはりソ連の拡張に対抗することを目的としていたが、この先進国クラブは共通の経済的利害と政治価値を共有しているので、ソ連消滅後も存続することができている。米国、主要欧州諸国、日本の間には確かに経済摩擦、競争、戦略的利害の不一致が存在するが、いずれの二者間をとっても今日の米中関係ほどの緊張は存在しない。

日米中関係を三者関係の観点から研究することは理にかなっており、正当化しうる。と言うのは、この三カ国の間では、どの二者関係も第三者の行動に影響を与え、かつそこから影響を受けるからである。いくつかの実例をあげよう。

  • 日米両政府とも日米安全保障同盟が中国に照準を合わせたものでないことを強調しているが、中国の勢力拡大と自信過剰とも捉えられる中国の姿勢が両国の安全保障関係継続の主要な背景でないと否定するのは賢明でない。

  • 中国の指導者は最近、日米軍事協力関係の中国にとって望ましくない含意についての懸念を繰り返し表明している。中国内の分析者は特に、中国が台湾独立を制止しようとすることが日米協力によって押し止められるかもしれないとの危惧を抱いている。

  • 米中対話において、米国の戦略専門家は、軍事力増強に裏打ちされた日本の政治的野心によるアジア太平洋地域の不安定化への中国側の懸念を完全に否定しているわけではない。だが米国側は、むしろ緊密な日米協力関係が日本の過大な野心と無責任な行動への歯止めになるということを中国側に納得させようとしている。

  • 米国の政府関係者と分析者は、特に西太平洋における米軍駐留の継続を正当化するため、日本と中国の間の潜在的対抗意識の存在を指摘する。米国政府は日中間の釣魚(日本にとっては尖閣)諸島領有問題に対して慎重に中立的立場をとっている。

  • 日本の政府関係者は、米中関係にきしみが生じるとすぐに懸念を表明する。その一方で、北京とワシントンの間で折り合いがついているようにみえると、日本人は日本の犠牲のもとに米中関係の改善が達成されるべきでないと指摘するに違いない。1996年後半以降、日本は米中関係の改善に対して特に敏感になっている。

  • 中国内の専門家は、日本と米国が中国についてそれぞれ異なる認識を持っているという事実を指摘している。1989年に北京で起きた政治不安に対して、日本は米国に比べてより穏やかな対応をとり、中国の人権問題に対する米国の激しい批判に同調することに消極的であった。日本のこうした姿勢は、米国政府の対中政策、特に人権問題をめぐる中国政府との対立を緩和させる働きをしてきたかもしれない。このように、中国には、日本が重大な政治的脅威であるとは映っていない。こうした対日認識とは対照的に、中国の指導者は中国社会への米国の政治的、思想的、文化的浸透に対して警戒心を募らせている。

    もしかつての米中ソの三角関係の特徴を、当面の成果のための交渉力獲得を目的とした首脳会談、共同声明、派手なジェスチャー、軍事協力等とすると、今日の日米中の三者関係は、長期的にみた利害と計算に基づく舞台裏での説得、非公式の意見交換、静かな意志表示によって特徴づけられる。しかし、これら二つの三者関係には共通した特徴が一つある。それは、第三国をめぐって二国間での討議は行われるものの、三国間での討議はめったに行われないということである。率直かつ密度の濃い三者討議を通してのみしか、中国、日本、米国の建設的な三者関係の構築はありえない。

    三者関係の構造

    日米中関係の構造をより深く理解するためには、グローバリゼーションという新たな現実を考慮に入れる必要がある。世界政治の二極構造に終止符を打たせた東欧の大変革から9年が経った。しかし世界中の政治学者たちはいまだに、冷戦後の世界政治に関する見解の不一致を狭めることができていない。政治家が現実世界そのものの複雑さと無秩序に対処しなくてはならないのと同様、学者もこうした共通解釈の欠如に慣れなくてはならないのかもしれない。

    米国における冷戦後の展望は、「歴史の終焉」から「文明の衝突」まで非常に幅広い。日本の識者も、今日の世界政治の特徴を捉える上でさまざまな見方をとっているようである。中国の政治用語の中では、「多極化」または「一超多強」というのが比較的受け入れやすい概念となっている。しかし中国の有識者の間でも、いくつの「極」や「大国」が存在するのか、そして将来出現するのか、またそれらの間でどのような勢力均衡が形成されるのかについて総論的な見解の一致を見ていない。さらに重要なことには、将来の中心的な対立点は何かということについても見解が一致していない。

    国際構造に関する共通の特徴づけがないということは、日米中それぞれの外交政策上の迷いと三者の関係の動揺を予兆する。また同時に、国際社会の安定性を危惧する際には、従来にも増して、国境を越える緊張の原因や解決策を国民国家や国家間の勢力関係を超える形で見出していかなければならないということでもある。テロリズム、不法移民、麻薬密輸、環境汚染といった従来「プライオリティの低い政治」問題とみなされていた諸問題が、いまや各国指導者の間での中心的議題になり始めている。しかしながら、領有権紛争、国家主権、軍備管理に関連する伝統的な安全保障問題も、特に東アジアでは依然として重要課題である。国際的な戦争の差し迫った危険性はこの地域には存在しないものの、安全保障問題の拡がりや複雑さ、問題によってはその緊迫性には予断を許さないものがある。

    米国、日本、中国における国内問題は、この三大国の関係に強い影響を与え始めているが、また他方、アジア太平洋地域における国際的緊張によって国内問題の方も悪化するだろう。米国の諸外国の問題に介入する能力は、外交政策形成の原則の欠如によって著しく妨げられている。経済的利害、地域の平和と安定、核不拡散や軍備管理等の伝統的安全保障問題、そして人権問題は、米国の対外政策課題の中で優先順位を争っている。より根本的な所で、米国における民族間の緊張、社会的荒廃、道徳心の低落、政府への不信、犯罪といった根深い国内問題は、対内的には米国社会の躯体を侵食し、対外的には米国のイメージを悪化させている。日本の1993年における一党支配の終結とその後の歴代連立政権は、依然として、強い指導力、抜本的改革、国際的責任の拡大を提供するような新しい政治的秩序を創造するに至っていない。中国は高い経済成長率を誇ってきているが、中央政府は蔓延する腐敗との戦いや経済格差の是正といった国内課題に忙殺されている。

    東京、北京、ワシントンのうちの二者の関係の中では、最も緊密なのは日米関係である。日米両国は結局のところ、繰り返し生じる経済摩擦や競争にもかかわらず、政治・安全保障上の同盟関係にある。日米両国には、度合いやスタイルは違っても本質的には同じである中国へのアプローチにおいて、協調を図るべき強力な根拠が存在している。最も緊張の度合いが高く、最も不安定なのは米中関係である。日中関係については、日米関係よりも緊密な戦略的同盟を両国で形成する可能性は全くないと思われる。また、米中関係よりも悪化する可能性のある二国間関係も存在していないであろう。富と技術力の点においては米国が優位にあり、次に日本と続き、中国が最も弱い。中国と日本は「アジア文明」のもとでの両国の文化的近似性をしばしば強調しているが、現実には日本と米国のほうが政治的価値を共有している。勢力関係のこうしたパターンは、予見しうる将来に向けて覆されることはないだろう。

    日米間の緊密な戦略的関係は、両国間の経済摩擦があまり増長しないよう、和らげる効果を持っている。しかし日米貿易の背後には、それぞれの社会に深く根ざした特有の諸問題がある。米国は日本に対して、新重商主義的と指摘されている経済政策と商慣行を抜本的に是正すべきだと強く要求しているが、米国は気長に、しかししつこく、交渉を続けていかなければならない。米国自身も自国の経済政策と商慣行を再調整する必要がある。

    日本における内政的制約が米国の圧力に応じた経済政策の抜本的見直しを妨げている一方で、市場原理が日本企業を他の東アジア諸国、特に中国への工場移転に向かわせている。国際社会においても、日本は他のアジア諸国との関係を強化する一方で、米国と異なる立場をとることに以前ほど消極的でなくなっている。しかし、日本政府や産業界の指導者は、日本の経済上、安全保障上の利害関係は欧米世界次第だということを十分認識している。

    米中関係においても問題が山積しており、人権から知的所有権、台湾問題から兵器売買、核不拡散と多岐にわたっている。どの問題分野も過去数年間に一連の危機を経験している。その一方で、米中二国間貿易と米国の対中投資は急増している。政治的反目にも関わらず、教育、文化、科学、技術の各分野の交流は発展し続けており、ディズニー、マイクロソフト、コカ・コーラは、都市在住の多くの中国人の日常生活の一部となっている。

    日中経済協力は、米中商業関係とほとんど同じくらい急速に発展し続けている。ここ数年間の日中政府間関係のムードは、一般的に、米中政府間関係のムードよりもはるかに良好である。しかし中国側の人民やエリートの間で、一部の日本人が第二次世界大戦中の日本の帝国主義的侵略を否定しようとすることに対する強烈な不満がある。他方、日本側には中国の台頭に対して入り交じった感情がある。日本軍の残虐行為の記憶に加え、最近では釣魚(尖閣)諸島領有問題が日中論争のもう一つの火種となっている。

    これら二国間関係三つのいずれにおいても、論争と協力という独特の組み合わせは、ポスト冷戦時代のグローバリゼーションの与える複雑な影響の反映といえる。いかなる二国間政策も、単一の明確な基礎の上に構築することはできない。すべての政策は、それぞれの国内ニーズと社会的変化によって動機づけられ、また抑制もされるようになっている。

    これらを背景に、ポスト冷戦時代における日米安全保障関係についての一連の疑問が、特に中国で提起されている。中国の見るアジア太平洋地域は、紛争の火種はいくつかあるものの、史上例をみないほど平和で安定した安全保障環境を享受している。それなのに、なぜ、日米安全保障条約は日米両国政府によって必要とみなされ、1996年4月の新しい共同宣言とそれに基づくガイドラインによっていっそう強化されたのか。この安保条約は中国に照準を合わせているのか。または、どの程度照準を合わせているのか。なぜ、米国政府は日本に対し、アジアの安全保障問題により大きな役割を果たすことを奨励しているようにみえるのか。

    日米両国の一部には、中国の政府関係者や戦略研究者に対し、日米安全保障関係は厳密な戦略的論拠に基づいて維持されているのでなく、明確な脅威の存在しない中でそれ自身の惰力によって維持されているのだと説得しようとする動きがある。日米安保関係には何ら警戒心を呼び起こすような新しい変化は起きていないと断定する動きもある。また北朝鮮についての共通の懸念が日米安保関係強化の主要な理由だと論じる動きもある。一部の分析は、背後に共同宣言の調印を通して自らの国内的地位を強化したいという、日本の政治指導者の思惑があったと強調する。しかし、日米両国の政治関係者や専門家の中には、日米安保協力の強化は、台頭しつつある「中国問題」への対応を意図していると認める人々もわずかながらおり、台湾海峡における最近の緊張が日米軍事同盟に見直しを加える主要な要因になったと論じている。

    これらの説明のすべてが真実であるはずはないので、日米両国の意図を明確化することが肝要である。米国は常に「軍事の透明性」を訴えているし、アジア太平洋地域に多国間安全保障機構を創設するためのさまざまな提案がなされている。もし日米両国政府が、アジアの安全保障問題に関して他の諸国の更なる協力的な行動を求めるならば、両国は自国政策の十分な「透明性」を実証し、自国の関心事と計画を率直に説明すべきである。日米両国は、中国が国家として統一されていて、効果的な統治を達成した後、台頭しつつある太平洋共同体に組み入れられることに共通の利害を見出しているとしばしば論じられている。言葉と行動の両方でこれを立証する必要がある。

    「安全保障ジレンマ」という概念は、今日の東アジアにおける国際安全保障の維持に重要な意味を持つと思われる。国家はこの「安全保障ジレンマ」に陥りやすい。すなわち自国の安全保障を維持・強化するために、国家は軍備増強や同盟形成といった行動をとることができるが、これらの行動は他の諸国の安全保障を損なわせる。その結果、他の諸国はその国の行動を相殺し、更に場合によってはその行動を脅かすような対抗策をとる。そうすると、国家は追加的な行動をとることを迫られ、その行動が更に新たな対抗策を引き起こし、そしてこれが繰り返される。このような行動と対抗策のらせん構造は、二国間でも多国間でも起こりうる。そしてそれは軍拡競争に拍車をかけ、対決へと向かっていく。

    中国に比べ、米国と日本ははるかに強い経済力とより高度な防衛システムを持つ。もし日米安保同盟が、現実には依然両国よりはるかに弱い中国の台頭を阻止することを目的としているのであれば、中国は確実に不安を感じるだろう。それは無理なからぬことである。もし多くの中国人が、日米両国は「台湾問題」を利用すること、すなわち中国を脅かし辱めるために台湾の独立推進勢力に支援を与えることを狙っているのではないかという疑念を抱くのであれば、安全保障ジレンマは更に悪化するだろう。日本、米国の両国において中国を戦略的脅威だとますます騒ぎ立てていることは、中国側のこの疑念をますます裏付けるものとなっている。

    二国が第三国に対して同盟を結ぶという伝統的な意味での軍事同盟と、単純な脅威論は、アジア太平地域において一層複雑化する安全保障問題――それには「プライオリティの低い政治」問題を含むが――の解決策を見出す手助けとはならないだろう。グローバリゼーションと情報化の時代は、われわれが今日直面している複雑な現実を考慮に入れた新たな信頼醸成ビジョンと措置の策定を要求している。

    中国内の対米認識と対日認識の比較

    ソ連崩壊以来、中国にとっては米国と日本が政治、経済、安全保障のすべての面で最も重要な国になっている。皮肉なことに、この両国は中国のメディアで最も頻繁に批判されている国でもある。もちろん、中国のメディアは日米両国を一般的にかなり好意的に報道しており、両社会における高度な経済発展、企業経営、公共行政、文化、教育、科学、技術、文明を詳しく伝えている。ここでは、両国について中国人が抱いているイメージの悪い面だけを吟味する。

    政治分野では、米国と日本はどちらも中国の社会主義体制を揺るがすことを狙っているものと一般に認識されている。しかし前述のように、中国政府は米国が、中国の指導者を窮地に追い込むという目標を日本よりもはるかに積極的に追及しているものと考えている。中国の指導者はいまや、米国が中国の西側化と分裂を狙った政策をとっていると公然と批判している。他方、日本は確かに経済発展段階から見れば「西側先進国」の一員だが、中国は時には日本を、アジアに政治的意志を押しつけようとする米国の圧力に集団でまた個別に抵抗するアジア諸国の一員とみなしている。その上、中国の多くの論評家によれば、米国の政治モデルと人権基準に従うことを要求する米国の態度は、米国と東アジアの間に激しい文化的対立を引き起こしつつある。他方、中国その他のアジア諸国と文化的近似性を持つと認識されている日本は、いずれは米国に舵取りされない独自の政治針路をとるようになるかもしれないと考えられている。

    国際経済分野では、やはり日本が中国内で良いイメージを持たれている。中国のメディアはしばしば、日米貿易摩擦について日本に同情的な報道を行っている。米国の交渉担当者は不当に傲慢で、すぐに高圧的な制裁に訴えようとすると描写されている。アジア太平洋地域における貿易と投資の自由化のスピードアップとその範囲の拡大を求める米国の要求は、米国が自らの経済力を利用して、中国にとって受容不能な政治目標を達成しようとするのではないかとの中国人の危惧を導いている。域内自由化の長期的効果は中国経済にとって有益かもしれないが、中国はまだAPECにおける米国の自由化提案を受け入れる用意ができていない。自由化は中国の現在の対外貿易政策、産業構造、価格システムに根本的な改革を要求するからである。

    世界貿易機関(WTO)への加盟を強く望んでいる中国政府は、米国の反対が加盟への最大の障害になっていると考えている。中国の多くの論評家によれば、中国のWTO加盟が現段階で受け入れられないのは単に経済的理由によるという米国政府の説明の背後には、より強い経済パートナーとしての中国の台頭を歓迎する気になれないという米国政府の本音が隠れている。他方、日本は中国のWTO加盟申請を支持することを明記した1997年の日中協定に調印している。日本のこの行動が北京で高く評価されることは間違いない。

    中国は、米国を除外する東アジア経済会議(EAEC)を創設しようというマレーシアの提案に支持を表明している。中国では、EAECの創設を阻む最大の要因は米国の反対であり、日本が慎重な姿勢をとっているのは主に米国からの圧力によると考えられている。中国は、アジア諸国間の貿易、技術移転、投資が急増し、それが対米依存の軽減を導いているという一般的なトレンドを歓迎している。そして、日本をこのトレンド促進の鍵とみなしている。

    安全保障はおそらく、中国が日本と米国の間でややあいまいな姿勢をとっている唯一の分野である。もちろん、新たに強化された日米安全保障協力が、中国に対抗するための両国の共同努力に対する中国の不安に拍車をかけていることは明らかである。中国の分析者が提起している一つの重要な疑問は、「両国のどちらがこの共同努力により大きな責任を有しているのか」ということである。日米同盟に対する中国人の批判の中には、独立した防衛力を強化するという日本の動機を強調するものもあるが、中国の主要な標的は依然として米国である。結局のところ、より強い軍事力を持ち、中国の国防と国家再統一の仕事により重大な挑戦を突きつけるのは米国である。

    こうしたすべてのことを考慮すると、中国における米国のイメージは日本のイメージよりも悪いといえる。この結論は、1997年10月に開催された第15回中国共産党全国代表会議(党大会)での江沢民国家主席の政治報告によって裏付けられる。米国の悪いイメージを生み出している主な要因は、人権問題に関する米国からの絶え間ない圧力、欧米式政治理念に対する中国の反発、台湾問題に関する米中間の緊張である。しかし、日中関係の最近の悪化は、中国の対日認識に日本が満足してはいられないことを示している。中国の出版物は、第二次世界大戦中の日本の侵害行為に対する一部日本人の罪の意識のなさに中国民が激しい怒りを感じていることを示している。日米防衛協力の範囲は台湾地域を含むべきだという日本の見解表明は、中国人の反感と警戒心を呼び起こしている。もし日本が引き続き中国人の感情と利害に無神経な態度をとるように見えるなら、北京はいずれ東京とワシントンの間で、より均衡のとれた新しいポジションを見出そうとするかもしれない。

    討議すべき三者間の問題

    日米安全保障関係に対する中国の懸念のように、日米中三者間の問題は激しい論争を引き起こす恐れがあり、国際的にも国内的にも微妙な政治的感情を伴いがちである。したがって、三者間の枠組みにおけるこれらの問題の討議は、まず最初に非公式レベルで行ったほうがより効果的で、かつ継続しやすいかもしれない。三者間で討議しうる主要問題には以下のようなものがある。

    「中国の台頭」に関わる認識

    日米中関係を考えるにあたっての最重要課題は、アジア太平洋地域の政治・経済の流れを変えていく大きな力である中国の台頭をどう捉えるかである。米国と日本には、中国の政治的安定性と経済発展に対して相反する評価と展望がある。多くの中国人は、自国の業績を誇りに思っており、来る21世紀を「アジアの世紀」「中国の世紀」と位置づける傾向にあるが、諸外国が中国の成長を脅威と受けとめていることに当惑している。その一方で、中国の発展過程における深刻な矛盾や困難を目の当たりにし、中国の潜在能力の過大評価に対する危険性を指摘する中国人もいる。彼らは、中国の成長率の非現実的な予測が、日本や米国の対中政策を誤った方向へ導いてしまうことになると考えている。

    安全保障問題

    日米中三国間に協力的な、また恐らくはより均衡のとれた関係を築く上での主要な障害は、中国が日米両国から潜在的脅威とみなされ、日米安全保障同盟の主要な標的にされていると思い込んでいることにあるのではないだろうか。「中国脅威論」に対して中国が防御的反応を示すのは当然のことといえる。これに対して、日本と米国が中国の台頭に関するそれぞれの見解や共通の懸念を明確に表明することは有用であろう。やや理論的だが極めて重要な疑問の一つに、いかなる敵国も存在しないときに安全保障同盟が維持されるべきかどうか、ということがある。

    中国内の有識者の間では、日本人による戦争犯罪の否認が日本の軍国主義復活の予兆になることへの懸念から、第二次世界大戦中の中国およびその他のアジア諸国における自らの悪行を日本に思い出させることは正当だと論じられている。こうした懸念への日本人の反応は不明瞭で、矛盾している。戦時下に中国との間で抗日同盟を結成した米国は、今日、この日中論争に対して無関心な態度を装っている。三者の間の率直な討議は、相互理解の促進に向けて道を開くに違いない。

    アジアの安全保障における米国の役割は、十分な注意を払うに値するもう一つの関心分野である。日米間で、米国における新孤立主義の傾向から、北東アジアの米軍駐留維持への米国政府の長期的意志にしばしば疑問が投じられている一方で、中国では米軍が地域から自発的に撤退すると考えている有識者はほとんどいない。実際に多くの中国人は、米国の防衛産業が北東アジアの米軍基地存続を支える強力な要因ではないか、そして米国の軍事支出を正当化するために米国は意図的に中国を不安定化勢力として描いているのではないか、という深い疑念を抱いている。中国人のこうした認識に対する日本人の率直なコメントは歓迎されるだろう。

    経済問題

    モートン・アブラモウィッツ氏は、「実りある三者間討議を開始する最も取り組みやすいテーマは、おそらく経済、環境分野における協力である」と指摘している。これらの主なテーマとしては以下のものが考えられる。

    「アジア的価値」と内部的変化

    「文明の衝突」といったテーマの学術的考察は、おそらく政治的思考と特定の政治的現実を反映する。「日本のアジア化」またはその逆(日本の西洋化?)は、少なくとも中国人にとっては刺激的であろう。愛国心を育てる中国の政治教育と社会主義的精神文明は対外関係に影響を与えるだろう。米国における民族・文化の多様性について、それぞれがほぼ同質である中国と日本の学者とがお互いの考察を比較してみるのもおもしろいかもしれない。

    地域的側面

    クリントン政権は「太平洋共同体」の創設を提唱している。リチャード・ソロモン氏はこの構想を次のように説明している。「来るべき時代の東アジアについて予想しうる最も有望な将来図は、さまざまな分野の政治・経済協力を具現化し、日米同盟を地域安定化の中軸とする(日米中ロ)戦略的四極構造の構成諸国間の緩やかな勢力均衡である」(1)。中国内の評論出版物は、この太平洋共同体構想が米国の「指導的役割」の行使を前提とするのではないかとの懸念から、強い疑問を示している。日本の見解はどうなのだろうか。 リチャード・ソロモン氏がアジア太平洋地域の将来を左右すると考えている「予見できない要因(wild cards)」(朝鮮半島の緊張、不穏な国内勢力、より広範な経済統合を阻む傾向のある地域内貿易パターン等)(2)は、もちろん、日米中関係にとっても非常に重要な意味を持つ。日米中関係が建設的かつ秩序あるものになれば、これらの要素に対して、適切に対処していくことができるはずである。

    <注>
    (1)Michael Mandelbaum, ed. 1995. Strategic Quadrangle: Russia, China, Japan, and the United States in East Asia. New York: Council on Foreign Relations Press. p. 205.
    (2)ibid. p. 206-207.


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