『日米中を三辺関係にするために』


朝日新聞社編集委員 船橋洋一

日米中協力−新たな三辺関係の模索(日本国際交流センター刊 1998年6月)より抜粋


英語では「三つは巧く行かない(Nature abhors a threesome)」という。三者関係、いや三角関係は、緊張をはらみやすい。どこも他の二者が自分の知らないところで、自分を不利にするような取引をするのではないかと疑心暗鬼になる。フランス語に言う「いない奴はいつも悪い奴(Les absents ont toujours tort)」という人間社会の真実は、国際政治においてもあてはまる。

三者関係は二者関係に比べ本来的に不安定である。何らかの三者間の対話の枠組みを作ったとしても、今度は権謀術数渦巻くマキャベリズムの舞台となる。日米中三カ国の関係についても、そうしたことが言えるようである。

三者関係といっても、この三者間の関係は非対称的である。このうち日本と米国は同盟を結んでおり、この両者の関係は米中、日中関係より深い。また、それぞれの政治体制、地域、文化の違いや二国間の歴史的な経緯も三カ国間の関係に影響を与えている。 三カ国間の建設的な対話の重要性は、今日、十分認識されているにも関わらず、相互理解を促進し、対話を進めるための具体的な準備はほとんど進んでいない。三カ国とも「三辺的に考える(think trilaterally)」ことには不慣れである。そうした対話文化も育っていない。

このように見てくると、三者関係といってもほとんど内実はない。単に二者関係を束ねた存在に過ぎないとも言える。にもかかわらずそれぞれの二国間関係は今後、いや応なしに他の二国間関係に影響せざるをえないだろう。それを忌避し、二者関係を他の二者関係と切り離して処理しようとしてもうまくいかないのは確かである。三つの二者関係は、今後ますます三者関係の渦に巻き込まれていくだろう。「構想による」(by design)三辺関係を構築しなければ、「破綻の下での」(by default)三角関係の虜になるだけである。

三辺関係を阻むもの

90年代に入ってからの国際環境の大きな変化が、日米中関係の構造の地殻変動を促し、「三者関係」意識を高める結果となった。過去10年の大きな変化をあげると、冷戦の終焉、湾岸戦争、社会主義ブロックの崩壊、アジア太平洋の地域主義の現れ、中国の台頭、台湾の民主化、日米同盟の「再定義」、朝鮮半島統一の可能性などがある。米中両国のこれらの変化に対する見方は異なっており、アメリカの真意に対する疑心暗鬼が、しばしばアメリカの政策に対する中国の反発の根底にある。

ソ連の消滅と冷戦が終結したことにより、1970年代以降の日米両国の中国との提携の地政学的な存在理由は消滅した。ソ連の脅威という中国と日米両国を結びつけていた力が消えると、米中関係、日中関係にほころびが見え始めた。今や、世界で唯一の超大国となった米国を、中国は「新覇権」への野心をぎらつかせる存在と見なし始めた。「対ソ共同戦線」上、米国がかつては見逃していた人権や労働条件、環境などの問題も争点として一気に表面化してきた。

クリントン政権は1997年、98年の両年に首脳の相互訪問を実現させ、米中正常化の筋道をつけることにしている。しかし、米中間には俗に「五つのT」といわれる阻害要因が横たわっている。Taiwan(台湾)、Trade(貿易)、Tiananmen(天安門=人権)、Technology(技術=ミサイル技術輸出)、Tibet(チベット)である。米中間は今後相当長期にわたって文明間の緊張にさらされ続けるに違いない。

三カ国間の関係強化を阻んでいる原因はもう1つある。米国と日本は、中国が大国化するに従い、国際社会の既存のルールや基準(norm)を突き崩して既成の国際秩序を崩壊させることになりはしないか、と恐れている。とりわけ日本は近代以降、経済的にも、政治的にも、軍事的にも強大な中国とまみえたことはない。アジア太平洋で、中国が大国としての地位を確かなものにするにつれて、日本と中国との間の「ライバル意識」は高まるに違いない。

一方で、日米関係が悪化すると、日中双方とも日中関係を強化しようというインセンティブを生みやすい。日米両国が包括協議(フレームワーク協議)をめぐって極度に緊張した際、日中は貿易問題と人権問題に関する米国の「居丈高な態度」に対し共同で反発してみせた。

今後の日中間の経済、貿易関係が一段と深まっていくにつれ、それが日中双方の対米外交にも影響を及ぼすことは必至である。すでに日本は中国の最大の貿易相手国である。中国も今後日本にとってますます重要な貿易相手国にのし上がっていくだろう。オーストラリア政府系のシンクタンクは、西暦2015年に中国は米国を抜いて、日本のナンバー1の貿易相手国になるだろう、と予測している。

もっとも、現時点では日中関係は日米関係に大きく作用するまでにはいっていない。むしろ、日中関係そのものに内在する問題が深刻になっている。一般的にどの国も大国化の過程でナショナリズムが高まるものだ。1970年代の日中友好の「井戸を掘った」「古い友人」たちはすでに表舞台から姿を消した。

1989年の天安門事件を契機に、日本は中国に距離をおくようになり、両国の関係は冷めたものになった。その後も、1995年の中国による核実験の続行や1996年春の台湾の総統選挙時の台湾海域へのミサイル発射訓練なども、日本を大いに刺激した。また、中国がより頻繁に両国の過去の歴史を持ち出して日本に贖罪外交を求めるようになったと日本が感じていることも、両国関係をぎくしゃくさせた。

中国は日本の歴史認識と第二次世界大戦中の行為に対する反省の欠如に不満を表明し、日本の再軍備化に対する懸念も示してきた。中国首脳もしばしば日本に対する不信感を露にする。日中間の相互不信がこれまで例を見ないほど高まっていることは最近行われた各種の世論調査が示すところである。

日本が日中関係に、ある外務省幹部が言うところの「重苦しさ」を感ずれば感ずるほど、日本は日米関係をテコに中国に向かい合おうとする誘惑に駆られるだろう。徐々に、だが確実に、日本の政治と政策は中国に対してより自己主張の強い姿勢を取り、簡単には協調しない方向へと変化している。かくして日中関係は「商業主義的なリベラリズムから、ためらいがちな現実主義へと移りつつある」と分析されている。

ただ、米国にとっては日中関係の悪化は必ずしもそれほど悪いことではない。むしろ日中双方に対する米国のレバレッジ(交渉力)を高めるものとして内心歓迎しているのではないか。そう疑う向きが日中双方にはある。

「封じ込め」への中国の懸念

中国の最大の懸念は日米が「結託」して、「中国を封じ込める」ことである。中国は1970年代以降、日米安保体制については「ソ連に対抗するための同盟」として基本的にそれを受け入れてきたが、同時に日本が再び軍事大国化するのを阻止するという隠れた機能をも評価してきたことは間違いない。1996年4月に出された日米安全保障共同宣言で示された日米安保の「再定義」は対ソ同盟としての性格を修正し、アジア太平洋地域の不安定に対する安定機能を維持するための枠組みとされているが、中国はこれが中国を押さえ込むためのものではないかと疑っている。もう一つ、それが日本のこの地域でのより大きな政治的、軍事的役割を認め、それを奨励することになるのではないかと警戒感を強めている。

「再定義」に対して中国の党・政府上層部でどのような議論が戦わされたのかはよくわからない。「日米安保を解消させようとの意見もあるが、それはまだ少数意見で、大多数は存続論を支持している」と、中国現代国際関係研究所の研究員の一人は言う。中国の主流意見の背景には指導層が米軍の駐留によって日本の「軍事独立路線」を封じこめる機能を評価していることがある。要するに、米軍のプレゼンスと日米安保の存続を認めようとの考えと、長期的には米軍の撤退を促し、同盟も解消に向かわせるべきだとの考えの二つに割れているようだ。後者の主張の背景には、米国はとどのつまり中国の台頭を認めず、結局は「中国封じ込め」に向かうのではないか、との運命論に近い対米観が潜んでいるかもしれない。

一方、日本からすれば、米中関係の進展が日米関係に与える意味合いが決定的に重要である。もし、米中関係が極度に悪化するようだと、その跳ね返りは重大となる。日中関係をアメリカの影響から離れて独自に発展させていくという機会も大きく損なわれる恐れが強い。その一方、米中関係が日本の「頭越し」に一気に改善し、蜜月時代に突入することもありうる。しかも、中国の大国化が本格的に進むと、「米中二極体制」が生まれ、日本はここから「外される」可能性が出てくる。しかし、日本にとっては、米中蜜月から外されることよりも、米中対決に巻き込まれることの方が危険である。日本独自の対中政策を行うことは、日本外交にとって長年の目標であった。

確かに日米は同盟を結び、中国はそれに対峙しているという構図ではある。しかし、そのことは三者関係において必ずしも日米対中国の対立という単純な図式が優勢を保つことを意味しはしない。クリントン政権になってからの米国の対中、対日政策はいずれも、同時に緊張を引き起こした。しかも、その反動として日中関係が強化されたかと言えばそれもなく、むしろ日中関係も緊張の度合いを強めた。三者の三辺いずれもが同時に悪化したのである。

その一方で、日米中の三者関係を70年代の米中ソの三角関係(triangular relationships)のような地政学的チェスゲームとしてとらえるのは無理がある。当時は最も強い国(米国)と最も弱い国(中国)が、その二国関係の管理を主としてもう一方(ソ連)への影響を考慮に入れて行った。日米中関係はそのような三角地政学の関数に還元されることはないだろう。日米中は最も強い二強(日米)が同盟を結んでいるものの、それは必ずしも第三国(中国)に対峙するものではない。日米同盟は、第二次世界大戦後の双方の新たな再出発への道のり、地政学的というよりは歴史的、政治的な性格を濃厚に宿しており、それは今日まで失われていない。

日米同盟関係が中国を「共通の敵」として再構築される可能性は現時点では考えられない。仮に米国が「中国封じ込め」を主張したとしても、日本はそれに抵抗するだろう。もし米国が強引に「中国封じ込め」を押しつけた場合、それは逆に日米同盟の終焉の序曲となるに違いない。

対話の強化を

日米中関係は協調と競争の二つのドライブを含んだ三辺関係へと発展する余地を多分に含んでいる。三者関係を平和的かつ建設的に管理、運営していくことが三カ国の長期的な国益にかなうし、アジア太平洋の将来の平和と安定のためにも不可欠である。そこでは三者の間でそれぞれの関係と地域における関係について次のような共通理解を持つ必要がある。

第一に、日米同盟がこの地域の安定にとって今後とも必要であるとの認識。それが中国を敵視してならないのは当然である。

次に、日米安保、米韓安保に基づく日米韓と中国を中心とする朝鮮半島の平和と安定に関するそれぞれの利害と政策意図を確かめ、この地域の安定の枠組みの共通ビジョンを模索することである。この問題については南北両朝鮮が第一義的、かつ主体的にイニシアティブをとらなければならないことはいうまでもない。

そのためにも日米中は、相互の対話の質を高め、安定的な環境を形作る三辺関係の強化に努めなければならない。それぞれの二者関係を管理する際、その政策意図と政策方向をもう一方に対しできるだけ透明にし、信頼醸成を促す形で相互に確認しあい、その政策が他国の犠牲の上に進められることのないようにしなければならない。

信頼醸成のプロセス面では日米中の当局者は次の点を考慮すべきだ。

三カ国が利害を共有する経済、安全保障問題についてはいわゆる「トラック2」の、つまり三カ国の官民双方の専門家による政策対話を始め、相互の意見を聞くようにする。

現在日米間にある「2プラス2」、つまり外交当局と防衛当局からなる外交、安全保障問題に関する定期的な意見交換の場を、中国の両当局者も加えて「2プラス2プラス2」とする。いきなり、閣僚級は難しいと予想されるので、中堅レベルから発足させることを検討する。手始めに、政策立案スタッフレベルの討議から始めることもできるだろう。 現在、日米、米中、日中間にある軍事交流を徐々に二者関係から三者関係に連係させることも検討に値する。三カ国で真の軍事協力が始まれば、この三カ国は互いに軍事的な拡張意図のないことを知り、安心できるだろう。

日米中はアジア太平洋経済協力会議(APEC)での協力のあり方を模索すべきだ。特に貿易摩擦の緩和、APECの紛争処理機能の強化について協力できるし、また協力すべきである。現在のところアメリカはAPEC流の協力のあり方に決して満足しているとはいえない。日中両国は、米国を共同で粘り強く説得し、この二つの課題の早期解決にあたらなければならない。日中両国のAPECへの貢献の度合いが大きくなればなるほど、米国に対する説得力も増すはずだ。

APECのみならずASEAN地域フォーラム(ARF)の成功も、最終的には良好な日中関係が築けるか否かにかかっている。日中両国が敵対すれば、近年アジア太平洋地域でせっかく順調に推移している多角的協力が機能しなくなり、真の三辺対話の希望も潰えてしまう。

日米両国は国際経済システムに正式参加しようとする中国に協力を惜しんではならない。ことに世界貿易機関(WTO)加盟については協力して後押しすべきだ。また、どの国も日中間の貿易、投資の規模が急速に拡大していることを認識する必要がある。台湾、香港、マカオからの投資を除けば、日本の対中投資額は米国についで大きい。日中間で急速に進行しつつある経済的相互依存関係は、両国の外交に大きな影響を及ぼさずにはおかない。今後も、両国間の貿易、投資は急速に拡大していくだろうが、そこで両国間の緊張が高まるようなことがあれば、経済に及ぼす悪影響もそれだけ大きくなるだろう。

日米中三国は、マクロ経済政策を調整し、通貨(米ドル、円、香港ドル、人民元)の安定を図るための新しいメカニズムを模索していかなければならない。米国は、アジア太平洋地域で形成されつつあるマクロ経済政策や通貨安定プロセスに積極的に参加していくべきである。

その際、政策決定プロセス面での対話強化と意志疎通の促進を軽視してはならない。日米安全保障共同宣言に対する中国の疑念に関しても、共同宣言づくりをする過程で日米中対話があれば、中国の疑念をもう少しやわらげることができたかもしれない。中国との事前の対話が不十分であったことは否めない。

同時に、それは中国に中華思想の限界と反作用を悟らせ、平和共存と相互依存の意味を理解させるためにも必要である。日本の中には防衛庁長官と統幕議長の訪中に対する中国の「返礼」がない限り、軍事交流をこれ以上深めることはできないとの不満が強い。米国政府部内でも米中軍事交流に関しては相互性の欠如が指摘されている。

中国問題の核心は国際社会がこのように急速に発展する新興大国を受け入れることができるかどうかにある。

米国をはじめとする既成パワーが中国の台頭を押さえ込もうとしていると中国が疑っている限り、中国との「対話」は成り立ちにくい。日米は中国を大国として認め、そのように取り扱わなければならない。世界の中で日米こそが中国の台頭を受け入れるべく、先導役を果たすべきだ。

その際、参考になるのは、日本の経済大国への台頭を国際経済システムに組み込む上で大きな役割を果たしたG7体制の知恵と教訓である。1975年のG7サミット発足にはさまざまな要因(欧州と米国との関係強化、欧州の対米交渉力の強化、ドルと各通貨の安定、ソ連に対する「自由世界」の結束など)があるが、その一つは日本を国際システムに取り込み、共存を図る点にあった。中国についてもこれと似たアプローチが必要である。 アジア太平洋地域にもたらされる恩恵

アジア太平洋の多角主義、地域主義の発展のためにも日米中協力は欠かせない。日米中はきわめて大きな責任を地域に対し負っているのである。アジア太平洋諸国は日米中対話を「共同謀議」とみなすべきではない。それは「共同責任」にほかならないのだ。 こうした三辺関係の強化と協調を目指すプロセスづくりについては、日米中それぞれの中から慎重論も聞かれる。

米国内には、ペリー前国防長官のように日米中の国防相会合を模索する動きもあったが、これは政策立案前に消えてしまった。米国内には、日本と中国を別々に「操作」し、それによってそれぞれに対する交渉力を高めようとするニクソン・キッシンジャー流の発想が、とりわけ安全保障専門家の間には強い。彼等は日米中の三辺対話を進めることにそれほど大きな利点を見いださない。現時点では、米国は日中それぞれに対し立場が強く、三辺対話の必要性をそれほど感じていないかもしれない。また、日米中対話が日米安保体制の強化に対する中国の不満を「なだめる」ためのものならそれはかえってマイナスとなる、との見方もある。

中国は、現在自国が三カ国のなかでは一番弱い立場にあると認識している。また、日米が対中「結託」することを警戒している。従って、そういうものを薄める可能性のある日米中対話には一定の関心を示している。にもかかわらず、中国の中には「三国志」的な状況に持ち込んだ場合、他よりうまくやれるとの自負があるかもしれない。

日本は現在はまだ、日米安保体制の下で「特権的な立場」を享受している。しかし、将来中国がさらに強大になった時のことを考えると、日本の立場が強い現在の段階で中国を日米中の対話に組み込んでおいた方が得策との思惑があるだろう。ただ、同時に、日中関係が悪化している今のような状態で日米中対話プロセスを作っても米国の対中政策の「下請け」にされるだけだとの不安もある。日本の政治家の大半は、日中関係が緊密になってはじめて三辺対話が巧くいくとの見方だ。その逆に、日米中対話を始めることは日米同盟という「日米特殊関係」を希薄にし、結局は中国の「日米離反策」に手を貸すことになるとの懸念もある。

日米中対話にはこのようにいくつもの壁がある。しかし、三カ国間の建設的対話は、アジア太平洋地域における安定と信頼醸成を築き上げていくために必要な三つの柱の一つなのだ。

三つの柱の第一はAPECへのコミットメントの強化である。APECは、現在のところアジア太平洋地域全体の多角的な参画(エンゲージメント)の唯一の場である。APECは、東アジア諸国に(とりわけ十年前までは国際社会の一員とは言えなかった中国に)、協調的、共同作業的な関係を促し、多角的、地域的な対話がしやすくなるような環境を醸成することもできる。さらに、APECは米国をこの地域に関与させ続けるという極めて重要な目的に役立っている。

第二は、日米安保体制を継続させることである。日米安保体制は、地域全体の安定に大いに貢献してきた。それは、ソ連の脅威を封じ込めるための前方展開体制を米国に可能にさせる一方、それと同じぐらい重要なもう一つの役割、日本の軍国主義を復活させないことをその地域の国々に保障することを果たしてきた。この同盟関係が終わる、あるいは弱体化することは、オープンで自由なシステムに対する東アジア諸国の信頼と確信を著しく動揺させるだろう。それは、米国が地域の保護者であることをやめることを意味するであろうし、対抗しなければならない大国としての日本が復活することと考える国も多いだろう。さらに重要なことには、東アジアがその下でその歴史上もっとも驚異的な経済成長を経験した安全保障システムの終わりを意味するだろう。東アジアの中小国にとっては、日米の同盟関係の維持は、あるシンガポールの外交官の表現を借りれば「日中双方の覇権を封じ込め、双方をバランスさせる黄金律」なのである。多角的な安全保障システムを強化する努力をする一方、日本と米国は緊密な関係を保つ必要がある。でなければ東アジア諸国は、多角主義を、米国が東アジア地域から、そして日本と中国の間に必ず起こる地域の覇権をめぐる衝突から身を引くための「隠れみの」に過ぎないと考えるだろう。

第三は、日米中の三辺対話である。三者は、東アジアで安定した均衡が得られるように協力しなければならない。この三大国間の協力は、今後3年ないし5年間の朝鮮半島の安定を左右する鍵となるだろう。もし北朝鮮の新しい指導部が米国との交渉を中心とした路線を修正し、米国や韓国に対する交渉力を強めようと中国や日本との新たな連携の可能性を探るようなことがあれば、過去3年間米国が北朝鮮に対してとってきた宥和的なイニシアティブ、および、関係諸国間の微妙なバランスは変化せざるをえない。

この三大国はそれぞれ文化的に誇り高く、時に傲慢ですらある。いずれも多角的協力に対する国内の政治的な抵抗感が強い。しかし、同時に、いずれも協力こそがもっとも魅力的な選択であることは認識している。日米は、できるだけ早く中国を政策協議の場に含むよう試み、三辺協力を推進しなけれればならない。さもなければ、中国は、日米同盟を地域の安定をめざすものではなく中国を封じ込めるための力と考えるようになるだろう。逆に、中国は経済的な優遇措置を道具に、日米両国の間に競争と不信を引き起こそうと、その成長著しい市場を利用しようとするかもしれない。日米は協力して、「夷を以て夷を制す」という中国に古来から伝わる策の効用を信じる中国の指導部が、日米同盟を弱めるために経済的な優遇措置を利用することがないようにしなければならない。

アジアの安定は建造物になぞらえて考えることができる。日米同盟という二極構造の土台とAPECとARFに代表される多角構造の屋根の間に、もう一つ日米中の三極構造の梁を入れることで地域の安定の耐震性は増すだろう。そうした重層的な構築物ができれば、「アジア列強時代」にこの地域に生まれてくる各種のパワーゲームのゼロサム的衝撃を吸収するのに役立つだろう。

日米中対話はアジア太平洋地域に安定をもたらし、日米中の長期的な国益を増進するはずである。三辺対話を通じ、日本は米国との同盟関係を維持すると同時に日中関係を深化させ、成熟したものにして行けるからだ。日本は、この二つの目的がぶつかり合わないようにしなければならない。

それによって日本にとっての外交面での悪夢である「米中対決」と「米中頭越し」を同時に予防することができる。戦後、日本はダレス外交とニクソン・キッシンジャー外交によってそのいずれも経験した。米中の外交の「急変」に最小限度の歯止めをかけておく必要がある。それは、もし将来、米中「二極時代」が訪れたとしても、日本をその中に組み込んでおく布石となりうる。

中国につけ込まれず、中国を敵視しない日米関係を維持し続けるには、中国を不断に対話の場に引き込まなくてはならない。日米中対話は日米同盟という芯を末永く保護するための皮膜でもある。

日本にとっての日米中対話は、恐らくは米中それぞれより国益上死活的な意味を有するのかもしれない。しかし、そうした痛切な認識と覚悟を持ち、「三辺的に考える」反射神経を身につけ、「三辺的な文脈」のもとに日本の長期的な国益を定義し、その実現へ向けて対米・対中外交、対地域外交を進めることが日本の「地の利」なのである。それに向けていまから静かに動くことで「時の利」を活かすことができるのである。

そうした視角と心構えのことを、明治の先人は「和漢洋」という一言に託したのではなかったか。三辺対話と政策協調を実現させるためには、日米中の政策担当者はまず他の二国を知ることから始めなければならない。互いの国益が何かを知り、文化や言葉や歴史を学び、経済協力、教育面での協力を推進することが、三辺的に考える習慣を身につけるためには必要だ。


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