『ロックフェラー回顧録』は、今年92歳を迎えたロックフェラー家の当主デイヴィッドと、三代にわたり20世紀の世界を動かしてきたロックフェラー一族からみたもう一つの世界史である。まことしやかな"ロックフェラー陰謀"説、あまりにも重すぎる名と富を背負った一族の苦悶とその闘いの歴史、その富と力が世界の歴史をどう変えてきたか、息もつかせず一気に最終章まで読者を惹きつける。
筆者は、デイヴィッドとその家族、長兄のジョンに知己を得、長年にわたり親交を深める幸運を得た。初めて会ったのは、1972年、宮沢喜一氏、大来佐武郎氏等とともにロックフェラー邸での三極委員会設立準備会議の席だった。以来、30年以上にわたり三極委員会はじめ、筆者が主宰する(財)日本国際交流センターの活動についてもデイヴィッドは深い関心と支援を続けてくれている。ソニーの故盛田昭夫氏とデイヴィッドの対談を企画したり、マンハッタンやニューヨーク郊外の屋敷や別荘に伺ったり、あるいはプライベートな旅行に同行するなど、親しくその人柄に触れる機会を持ってきた。穏やかでゆったりした語り口で周りに不思議な安心感を与える、その人となりに長年接してきた筆者であるが、本書を通じて実に多くの事実をあらためて知った。
週給5ドルの店員から石油王として巨万の富を築いた初代ロックフェラーは資本主義の巨悪の象徴として弾劾されたが、敬虔なプロテスタントとして、酒、タバコを控え収入の10%は慈善寄付をするようにとの教育を子どもたちに施してきた。祖父を超えることはデイヴィッドの父には不可能に近く、如何にロックフェラーの富を社会と子どもたちに還元し、ロックフェラー家としての矜持を保つかに腐心した。第三世代はロックフェラーの名前に抵抗し続けた長女アビー、社会公益活動に貢献した長男ジョン、副大統領のネルソン、不動産王ローランス、アーカンソー州知事ウィンスロップ、そして第6子がデイヴィッドだった。彼ら全員が、自分たちが例外的な一族に属していることを幼少時より自覚していた。自分を含め兄弟の多くが失読症だったり、愛する母親や姉が重圧により鬱病を患ったこと、長じてはロックフェラー家の財産を如何に管理するか兄弟間で大きな意見の食い違いを経験した。さらにはデイヴィッドの子どもたちも個人としてのアイデンティティを求めて苦悩し、今ではロックフェラー一族としてそれぞれの専門性のもとに活動をしていること、そして、何十年という歳月を経て兄弟そして親子の絆をあらためて確認しあったことが率直に語られている。
戦前から今日に至る人脈の華麗さは、ロックフェラーという名前だけで王族にも国家元首にも会えるということがなければ築けなかったことではあるが、一時は政治家を志した財界人デイヴィッドの力量に負う所が多い。中東や南米の元首たちとの交渉裏話はまさに、歴史そのものである。デイヴィッドとキッシンジャーが画策したとされるイランのパーレビ国王の亡命は米国政府の約束不履行を繕うためだった等、いくつものエピソードが述べられている。
国際関係に果たした役割の余りの多さ、大きさ故に、日本については世界的な話題となった三菱地所のロックフェラー・センター買収顛末が中心となっている。デイヴィッドが丸ビルの玄関で転倒、骨折し某病院に急遽入院、痛み止めと称してマティーニをホテル・オークラから届け、丁度電話をかけてきた夫人のペギーに見破られたこと、ソニーの大賀会長の好意で自家用機を出してもらい米国に帰っていただいたこと等、今では懐かしく思い出される。
しかし、本書の本質は、「社会の健全性のためにはフィランソロピー(社会変革をめざす寄付・助成活動)が必要」という確固たる一族の信念である。巨万の富を社会向上のために如何に分配するか、現在活躍している数多くの世界的な組織はロックフェラーの資金により生まれている。WHO(世界保健機関)もロックフェラー財団の活動から生まれたものであることは決して不思議なことではない。

(やまもと・だたし〔財〕日本国際交流センター理事長)

デイヴィッド・ロックフェラー著/楡井浩一訳『ロックフェラー回顧録』(新潮社より2007年10月刊行)

本欄は当センター役職員の寄稿、インタビュー記事を媒体の許可を得て転載しています。